みずのわ出版


本拠地 ・ 山口県周防大島の出版社、です


―詳 細―

窓の微風 ――モダニズム詩断層

窓の微風――モダニズム詩断層


窓の微風

   ――モダニズム詩断層

季村敏夫 著
2010年8月刊
A5判上製500頁
本体3800円+税
ISBN978-4-86426-001-5 C0095
装幀 林哲夫
ジャケット画 林哲夫「窓(イスタンブル)」
→【正誤表】を確認する




[目次]

プロローグ 促し、目覚め


尖端的なものの行方――竹中郁、村山知義、萩原恭次郎そのほか

**
窓の微風――『羅針』の富田彰のこと
つぐみ、噤み――『新領土』の酒井正平のこと
月と星の転生――詩人山中幸夫のこと
海彼襲来――神戸のモダニズムについて
ダダの目覚め――『横顔』の受川三九郎
汚辱の犬――岡崎龍夫と平岩混児の詩について
永田助太郎の音楽性――本田未明の調性
『薔薇派』の米谷利夫のこと
レスプリ・ヌウボオの活きた姿

***
亜騎保の耳――神戸詩人事件勃発七十年
地上に生きてあること――『牙』について
過ちということ――小林武雄と佃留雄の齟齬に触れながら
映画からみた神戸詩人事件――同人誌『映画無限』に触れながら
詩の風土について――君本昌久の詩魂にふれながら

****
エチカ、地上の声
西井一夫への返信――震災とホロコースト
坂道を歩いた亡命ユダヤ人
記憶のトポグラフィー
瓦礫の時間が生むもの

*****
海の見える坂道
はかないとおもえるほどに――詩集『編笠』にふれながら
過去について
オシフィエンチムの光景
太田省吾さんのこと
我輩は鼠である――大町桂月の抗い

******
レツェンゾ六篇
樹木の墓標―――内堀弘『ボン書店の幻』
散文詩の可能性をめぐって――山田兼士『ボードレールの詩学』
なぜ冷える、なぜ足なのか――瀧克則詩集『足の冷える場所』
邪悪な意思の書物――細見和之詩集『ホッチキス』
田村雅之詩集『エーヴリカ』を読む
再出発する場所――佐々木幹郎『やわらかく、壊れる――都市の滅び方について』

エピローグ 微風をそそぐ


補註1 『兵庫文学雑誌事典――詩誌及関連雑誌』(仮称)作成のために
  戦前戦後発行の詩誌及び関連雑誌
  新刊及び古書店、プライヴェート・プレス、資料館、市民グループ、サロン、ほか
  カフェ、喫茶店、印刷所、詩の研究グループ、政治結社、ほか
補註2 大阪のヴォルプスヴェーデ――港野喜代子と小林多喜二のこと  浅野孟府(聞き手=野口豊子/テープ起し=季村敏夫)


[著者]
季村敏夫(きむら・としお)
昭和23(1948)年、京都で生まれ、神戸市長田区で育つ。古物、古書籍商を経て、現在、アルミ材料商を営む。詩集『木端微塵』(書肆山田、2004年8月。山本健吉文学賞)、『記憶表現論』(共著、昭和堂、2009年3月)、『山上の蜘蛛――神戸モダニズムと海港都市ノート』(みずのわ出版、2009年9月)ほか。


[用紙/刷]
ジャケット NTほそおりGAホワイト 四六判Y目 130kg 4°
表紙 NTほそおりGA濃鼠 四六判Y目 100kg K/1°
見返 NTほそおりGA濃鼠 四六判Y目 130kg
扉 NTほそおりGAホワイト 四六判Y目 100kg DIC429/1°
本文 淡クリーム琥珀N A判T目 43kg




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正 誤 表

[人名]
・p.351 三浦輝子 → 三浦照子
・p.401,489 高橋由紀子 → 高島由紀子
・p.195,430,450,482 古家実三 → 古屋実三

[巻末辞典]
・p.440 黒い仲間 → 悪い仲間
・p.407 直原弘道が寄稿 → 直原弘道は同人

[索引]
松原新一 p.403 → p.404
池内 紀 p.403 → p.404


[『大阪詩人』について]
 戦前の詩誌『大阪詩人』は2種類あること、鳥取市在住の詩人、手皮小四郎氏からご教示を得た。手皮氏は詩誌『菱』(鳥取市立川町4-207、小寺方)で、神戸詩人事件に連座した濱名輿志春と交流のあった「モダニズム詩人荘原照子聞書」を連載中である。
   ・A 『大阪詩人』 昭和9(1934)年創刊。福島公肇、塩谷安郎編輯。発行所は大阪市東淀川区木川西之町
      三―二三、大阪詩人倶楽部。濱名輿志春、高祖保、荘原照子、ボン書店の鳥羽馨らが寄稿。
   ・B 『大阪詩人』 昭和10(1935)年5月創刊。編集発行人、大阪北区堂山町、大阪詩人社、西村睦美。江里
      口準ほか。
 356頁右下の書影は上記B、357頁記載の『大阪詩人』は上記A。創刊時は昭和9(1934)年に訂正。


[本庄喫茶店について]
451頁 本庄喫茶店 元町一丁目→三丁目
 大正3(1914)年、元町通り山側の三丁目の本庄呉服店内に、本庄憲三郎が輸入カメラを扱う本庄商会を創業、やがて店舗改装、本庄フルーツパーラーを開店。以上は画家林哲夫氏のご教示。当初、一丁目としたのは『半ドン』誌上の及川英雄氏の随想に従ったが、ことほどさように、及川氏の記述は不正確(誤植か)なものが少なくなく、文献資料としての鵜呑みは禁物である。




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