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みずのわColumn

さんぽ道

2003年10月から翌04年4月まで、2週間に1度、大阪日日新聞「さんぽ道」にみずのわ出版代表 柳原一徳が執筆したコラムに加筆訂正。

第1回第2回 第3回第4回
第5回第6回 第7回第8回
第9回第10回 第11回第12回



第1回

不細工な市町村名


 山口県周防大島(屋代島)の祖母が3年前に亡くなり、家が無人になったこともあっ て、草むしりと息抜きを兼ねて2、3ヵ月に一度は帰省している。だから、ふだん住んでいないとはいっても、郷里の動向はけっこう気に掛かる。
 周防大島は、瀬戸内海では淡路島、小豆島に次いで3番目に大きな島で、属島を含めて人口約2万人。古くはハワイ移民の島、最近では高齢化率日本一の島として知られ、大 島・久賀・橘・東和の4町からなる。来年10月に4町合併を控えており、8月下旬に新町名 が決まった。
 13件に絞られた候補から決定した新町名は「周防大島町」。合併に伴うメリット、デメリットについて議論らしい議論のないまま国の方針どおりに合併へと突き進んでしまっている現状には困ったもんだが、少なくとも新町名は「まとも」な名称になったし、合併しても現行の字名はすべてそのまま残すのだから、それだけでもマシと思わなければならないのかもしれない。
 その他の新町名候補はひどかった。新大島町、大島新町、瀬戸美町、瀬戸海町、南瀬戸町、夕凪町、サザンセト町、等など。極めつけのどセンス、しあわせ町。「四町を合わせるから」ということらしいが、どうにかならんかね。ほんま、こんな情けない町名にならんでよかった。
 平成の大合併で、不細工な市町村名が増えている。さいたま市、さぬき市、東かがわ 市、四国中央市、南アルプス市等など、宛名書きすらイヤになる。気ぃ悪いから、私信では旧市町村名で送り続けてやろうかと思ってはいるのだが、遠からず「宛所不明」で舞い戻ってくることになるのだろう。地名に込められた歴史が、こうして途切れていく。
 この間帰省したとき、山陽本線下り「新山口行き」の列車を見て「ほんま、なじまんのう」と思った。秋のダイヤ改正で小郡駅(山口県吉敷郡小郡町)が駅名を「新山口」に改めた。「小郡」では全国的に知名度が低いので、「のぞみ」を停車させるために改称したのだという。28年前に新幹線が開通したときにも「県都・山口市の玄関に」と駅名改称の話はあったのだが、その時は地元が強硬に反対した。「鉄道の町」としての気概がそうさせたと聞いた。28年を経たいまの小郡町に、そのような気概はなかったのだと思えてならなかった。
(2003年10月21日)


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第2回

カネは、使うのが難しい


「追悼集」の類の本は読む気がしない。この手の本の執筆を頼まれても全て断ることにしている。内容の大半が、「惜しい人を亡くした」だの「天国で微笑んでおられる」だの、わかりきったような言葉の連ねられた、関係者の追悼文で占められている。中身がない。
 この手の本のことを、出版業界では「饅頭本」と呼んでいる。「この饅頭、美味しい」と連呼したところで、それを食えない他人には美味いのか不味いのか全く伝わらないからなのか、それとも「葬式饅頭」からきたのか、その語源は知らない。
 そんな体たらくだから、そもそも「商品」になるはずがない。だから自費出版になる。1冊作れば100万円仕事だ。ご遺族にそれだけ負担させるわけにもいかないし、作りたいのは「周囲の人々」なのだから、自ずと出資金を募っての自費出版になる。
 この春、昔の職場の先輩が亡くなった。その「追悼集」を作るため有志で実行委員会を作ったので、原稿を寄せてほしいという手紙が来た。これまた「饅頭本」。書いた分量に応じて費用を負担せよ、そして「一人でも多くの方に故人との思い出を書いていただきたい」と――。
 故人は生前、文芸同人誌を主宰していた。なかなかの文筆家だったし、一冊まとめられるくらいは書きためていたはずだ。だったら、故人の作品集を作ってやれよ。自己満足のために手間暇とカネをかけるくらいなら、その代わりに、その人の作品を本にして残してやれよ。
 知り合いのある作家が亡くなったときのこと。一周忌に合わせて「追悼集」が出た。これまた有志の実行委員会で出資金を募って刊行にこぎつけた「饅頭本」。釈然としない思いだけが残った。
 その作家は、あるタウン誌に連載していたエッセイを出版したいと希望していたが、版元の都合で断られてしまった。最後にお会いしたとき、そのことを非常に残念がっておられた。
 出版不況といわれて久しい。特に文芸書をめぐる状況は厳しいだけに、せっかくお金を集めたのだから、「俺が、俺が」というケチな考えはやめて、その「幻」のエッセイ集を世に出してほしかった。
 民俗学者、宮本常一が15歳で郷里の島を出たとき、父親が贈った「十ヵ条」の一つに、こういうくだりがある。
「金というものはもうけるのはそんなにむずかしくない。しかし使うのがむずかしい。それだけは忘れぬように」(宮本常一『民俗学の旅』講談社学術文庫、1993年より)
(2003年11月4日)


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第3回

「身内」こそ敵、か


 零細出版社を興して6年になる。当然のことだが、イイ本を作ることもあればイマイチ の時もある。それが新聞や雑誌などで紹介される時、商品である「本」そのものの出来不出来ではなく、「地方で頑張っている出版社云々」というふうに紹介されてしまうことが多々ある。とりあげて頂けるのは有り難いが、素直に喜べない。
 書店も然り。民俗なり文芸なりジャンル分けした棚があるにもかかわらず、首都圏の書店なら「地方出版社の本」、地元書店なら「地元の本」の棚で、ひと括りにされてしまうことが多い。だから、「こんな本が出ている」ということすら知られないまま、ただでさえ売れないものがますます売れなくなってしまう。
 ここまで挙げた例は、別段目くじらを立てるほどのことでもないのだが……。
 私の周辺が特にヒドいのかもしれないが、マイナーな出版社というだけで馬鹿にされることが多い。子どもが相手の嫌がる綽名をつけるのと同様に、社名を揶揄の対象にされたことすらある。同じ「零細」でも、町の豆腐屋さんやパン屋さんだったらあり得ない話だろう。
 仕事上のパートナーでもある連れ合いは、「本屋にあまり並んでないから知らない人が多いのは仕方がないけど、そういう人らの多くは、単に『有名ブランド』でないということだけで馬鹿にしているのよ。それって無粋で下品でしょ」と言う。
 たとえば××商店街にあるケーキ屋のシュークリームは美味しいんだよ、と吹聴したとしよう。普通なら「あら、知らなかったわ」「今度買ってきてね」となり、実際に食べたとしたら「本当、美味しいわね」とか「私の好みではないわね」という話になるだろう。それを自分の舌で判断せず、「下町の小さなケーキ屋が作ったモノなんてロクなもんじゃない」と決めつけるようなものだ、と。それって当人らとつき合おうとも理解しようともせず、「いまどきの若いモンは……」と偉そうに説教ぶるオッサンどもの害毒と何ら変わらないではないか。
 害毒といえば……「30年近く続けてきた月刊誌の定期購読者が減ってきた。だったら単行本でも作って儲けたらエエか。出資求む」というDMをまいた者、「原稿整理(印刷所に渡す前に原稿を手直しする作業)が大変だから地元で協同組合みたいなものを作り、仕事を融通し合えないか。お金を払えばやってくれる人はいくらでもいるのだが……」と宣った者(それって、タダ同然の安価で仕事してくれ、ということかね)……等々。
 ある人物は私のパートナーに対し「仕方がない。お宅で私の本を出してやるか」と言い放ったという。それも、私が席を外している場で。
「本の周辺」にいる者が、出版という仕事、ひいては「本」そのものを馬鹿にしている。「身内」こそ敵、なのかもしれない。
(2003年11月14日)


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第4回

キタナイ巨人と通過儀礼


 数年前の夏に広島へ出張したとき、宿で観たテレビのこと。某全国ネットで24時間「チャリティー」放送をやっていて、たまたまその時間帯はプロ野球の中継が入っていた。確か、東京ドームでの巨人―中日戦だったと記憶する。
 これが神戸や大阪だったら、「サンテレビつけんかいッ」となるのだが、広島に四局ある民放テレビ局はすべて東京のキー局の系列である。宿から目と鼻の先にある広島市民球場で広島カープの試合をやっているのに、といっても、関係のないハナシである。
 その日は野球中継もまた「チャリティー」番組の一環ということで、障害児入所施設にいる重度障害をもつ男の子をゲストとして放送席に招いていた。その子が、いまはヤン キースに移籍した松井選手の大ファンで、もちろん巨人の大ファンなんだな、これが。
 別にその子に恨みがあるわけではないし、私が忌み嫌ってやまない巨人を応援しているからといって、バカにするつもりもない。ただ、メディアの偏向が許せないのだ。
 巨人ファンは全国区だが、地方へ行くほどその比率は高いといわれる。地方局のほとんどが東京のキー局の系列下にあり、東京からタレ流しにされる巨人戦の影響が大きいと考える。
 テレビもそうだが、雑誌の影響も大きい。私が小学生の時分はプロスポーツといえばまず野球だった。巨人大鵬玉子焼きといわれた時代の続きでもあったし、また王選手のホームラン世界記録が達成された頃でもあり、○学館の学習雑誌『小学○年生』など、巻頭の2色刷り特集は巨人一色だった、と記憶する。
 障害児入所施設にいる子どもにとって、テレビという娯楽の存在は大きい。そこに巨人の試合ばかり流され、おまけに(カネの力にモノを言わせて各チームの4番という4番、 エースというエースを掻き集めてくるのだから)強い、ときたもんだ。広島にいるのに、広島カープではなく巨人の試合中継が流れていることも然り。そうして巨人ファンになったであろう障害児を「チャリティー」のダシにしようとするテレビ局のいやらしさ。
 一概に言えないかもしれないが、男の子は強くあれと育てられ、その結果強いものに憧れるようになることが多い。そんな「強い巨人」のキタナイ正体に目覚め、「アンチ巨 人」になっていくのは人生の通過儀礼だと。そして、それを経ずしてそのまんま大人になってしまうケースも多々ある、と某友人は言う。
 さもありなん。かくいう私も、小学生の時分は巨人ファンだったのだから。
(2003年11月28日)


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第5回

ノンバンクをおちょくる方法


 大手消費者金融、某武富士の会長が逮捕された。某武富士にとって「都合の悪い」事実を取材・執筆していたライターさんのお宅の電話を組織ぐるみで盗聴していたのだとい う。
 けしからん奴や、と同時に、やっぱりこんな公安まがいの悪どいこと当たり前にやっとってんなぁ、というのが第一の感想だった。ここまで大きなことではないが、私にも思い当たるフシがあるからだ。
 一昨年の暮れに仕事場を移転したとたん、ノンバンクからの営業の電話が増えた。多いときには週に3度はかってきた。「社長はいらっしゃいますか」ときて「ワシぢゃ」と返 すと、生ったるい声で「おカネ借りませんか、カード作りませんか」と畳み掛けてくる、アレである。
 もちろん借りる気など、さらさらない。だからといって、ここで無下に電話を切るのは勿体ない。そこで、話を引き延ばし、おちょくりにかかる。
「ああ言えば上祐」ではない、「ああ言えばこう言う」のマニュアルがしっかりと作られているのだろう。テキもけっこうしぶとい。
 ちらっと時計に目をやる。もう30分は引き延ばしてやったな。相手するのも疲れてきたし、ここで殺し文句。「うちに営業してくるからには、うちの本(商品)1冊でも読んだ ことあるんかッ」。「ハイ、読みました」という答えが返ってきたことなど一度たりとてなかったのだが、ここまで言ってやるとぐうの音も出ないのか、敵はすごすごと引き下がる、のであった。
 その間仕事は止まるし、あんたもヒマやなぁと、そのことを他人に吹聴するたびにアフォ扱いされてはいたが、これで敵の時間をツブしてやることで、某JRに飛び込む人が一人でも減ったら、それは立派な人助けやないか、などと勝手に思っていた。
 そんなことを、今年の春に『週刊金曜日』のコラム欄に書いた(何の偶然か、このコーナーも「さんぽ道」といいます)。この雑誌は「サラ金・闇金」特集を数度にわたって組んでいた。これまた某武富士などにとっては「都合の悪い」記事だったのだろう。
 この記事が掲載されて以降、こういった電話はプッツリかかってこなくなった。やっぱり、ブラックリストは存在したのだ。おかげで、私の趣味(?)が一つ減った。
(2003年12月12日)


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第6回
永久欠番

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第7回

永久欠番

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第8回

銀塩カメラユーザーの愚痴


 学生時代からオリンパスの一眼レフを愛用してきた。機械式シャッターのマニュアル機である。「カメラ任せ」で露出とピントを決めてくれるというありがたい機能がないかわりに、電池がなくてもシャッターが切れ、おまけにすこぶる頑丈ときたもので、仕事の パートナーとして全幅の信頼を置いてきた。
 ところが、である。オリンパスは2年前の暮れにデジカメに全面移行……すなわち一眼 レフのシリーズをすべて製造中止にしてしまった。おかげで関連の機材が品薄になり、中古市場が高騰。どうしても必要な機材が手に入らず、四苦八苦している。
 どうにも参ったのが、フォーカシングスクリーンである。早い話が「ピントを合わせるためカメラ内に装着する磨りガラスの板」なのだが、これが手に入らない。インターネットのオークションで、定価2800円のものが1万2000円くらいにまで高騰しているのを見た ことがある。どうしても必要なものだったので、2ヵ月ほど前に7000円で落札したのだ が、どうにも釈然としない。
 趣味だろうが仕事だろうが、必要な機材が、必要とする人の手に届かない。製造中止になって久しい機材でも、少し前までは大阪や東京あたりの中古カメラ屋さんを数軒廻ればひと通り手に入ったのだが、最近、そういったレアものはネットオークションのほうが値が付くためか、店頭で見かけなくなった。
 それどころか、とくにオリンパスの一眼レフなど、シリーズ自体が消滅するというので投機のためにまとめて購入し、ネットオークションにかけている輩もいると聞く。「循環する社会資源」だったはずの中古カメラやその関連機材は、いつの間に投機対象になってしまったのか。
 ちなみに、中古カメラ業界で「二個一」(ニコイチ)という言葉がある。故障したカメラ一台をバラして使える部品を取り、もう一台の同じ形式のカメラを甦らせることをい う。ただ、これを嫌がる修理屋さんもいる、らしい。メーカーが製造中止したことで、もう新たに世の中に出ることのないカメラが、確実に一台、この世から消滅してしまうのだから。
(2004年2月3日)


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第9回

宮本常一の仕事


 うちの仕事場で、昨年、今年と2年続けて、宮本常一関連の本を編集・発行した。
 今年は『宮本常一という世界』を出した。中国新聞記者の佐田尾信作さんが、宮本の生誕地、周防大島に根を下ろし、ゆかりの人々と語り合いながら、途上にある「宮本学」の到達点を探ったものだ。
 昨年は『宮本常一のまなざし』。ノンフィクション作家、佐野眞一さんが、一昨年の水仙忌(宮本常一の祥月命日)に周防大島で開かれた講演会で語ったものを中心に、関連のエッセイ、評論をまとめた。
 手前ミソみたいだが、嬉しいことがある。送られて来る読者ハガキやメールの文面か ら、これらの本が、「この本を読んで、それでおしまい」ではなく、読者にとって新たな関心を喚び覚ましていることがわかる。これらの本から宮本常一の著作へと向かったり、また関連の著作あるいは別個のテーマの著作へと向かったり……と、いろいろなかたちで裾野を広げているのだ。
 佐田尾さん、佐野さんの仕事も、また宮本常一の遺した言葉も、現代社会の逼塞状況に対する性急な「答え」や「ノウハウ」ではなく、重大な「考えるヒント」を投げかけているのだ、と思う。
 ちなみに、『宮本常一のまなざし』の帯に、佐野さんの以下の言葉を引用した。 「宮本常一が最晩年につぶやいた『離島でも山村でも人間を育てなかったところは、もう僕がいってもとりかえしのつかないところまで事態が進行している。おそらく僕は死ぬまでこの問題に胸を痛めて歩かにゃならん』というコトバの裏には、『とりかえしのつかない状態のままでは、後世にこの世を渡せない』という思いがあったと思います。その思いをあらためて、一人ひとりが持つことが宮本常一の精神の世界を継承することだと、ぼくは思っているんです」
 神戸空港「反対」派が大きく後退した昨年春の神戸市議選に際して、ある住民運動の リーダーが「住民投票運動の主要メンバーは高齢化し、成果がないまま走り続けるのは困難。後に続く若い世代が声をあげないことに不安を感じる」云々と、わかったやうで実は何もわかっていないコメントを地元紙に寄せていた。ナニヲカ云ワンヤ、である。それ は、単にかれらが「人を育ててこなかった」だけではないか。この体たらくを宮本常一が見たらどんな言葉を発したことだろう。
 宮本常一の著作も、また宮本に関わる著作も、まだまだ読まれなければ、と思う。零細地方版元なりに、できることをボチボチやっていくしかない。
(2004年2月13日)


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第10回

島の雑誌『かむろ』


 大正期から昭和戦前期にかけて、山口県東和町の沖家室島に『かむろ』という雑誌があった。350人から400人の読者を持ち、1914(大正3)年9月に第1号を出し、1940(昭和 15)年3月、158号を以て休刊している。
 島の青年団体「沖家室惺々(せいせい)会」により、当初は季刊、一時期は月刊で発行されたこの雑誌は、海外への出稼ぎ者の多いこの島にあって、島外の者には島の情報を、島の者には島外各地の情報を伝える「広場」の役割を果たしていた。
 私の両親が島の出身という縁から、いま、島と関西とを行き来しながら、その復刻版作りの仕事をしている。
『かむろ』を読み返すにつけ痛感するのは、今よりはるかにモノも情報も乏しく交通・通信も不便だった時代に、よくぞと思うほどに多様かつ丁寧な、島の人びとのニーズに応えた誌面づくりがなされていることである。
 たとえば第2号所収の「布哇島の概況」では、ハワイの地理、砂糖産業や水産業の動向 などが詳細に記されている。また、沖家室島の動静を伝える「かむろ通信」からは、旧正月の風情や厳島参りの船出、盆踊りの喧噪などが伝わり、海外在住者にとって、異郷にあって遠き故郷をしのぶ縁(よすが)となったに違いない。
 なるほど、島の人びとにとって、海は人と人とを隔てる「壁」ではなく交流の「道」であり、『かむろ』は島を拠点に外海に向けて開かれた「場」であったのだ。
 そうすれば、これは、単なる島の古い雑誌の復刻にとどまるものではない。移民史、漁業史、民俗誌などの史料にとどまらず、一人ひとりにとって多様な読み方のある、現代に通用する読み物――すなわち『かむろ』は創刊号の刊行から90年を経た今も、朽ちるどころかしっかりと生き続けているのではないか、と思えてきた。
 長年の使用・保存に耐えるようハードカバーにしたが、『かむろ』原本の読みやすさ、手にとりやすさは失いたくない。百科事典のごとき「本棚の飾り」ではなく、気が向いたときにいつでも手にとってぱらぱらとめくってもらえるようにと、函入りではなく、カ バー装にした。先達の志を受け継ぎたい、という思いからである。
 復刻版は、3年かけて第2巻まで刊行した。『かむろ』17〜24号を収録した第3巻を、桜の咲くころには送り出したいと思い、編集作業を続けている。
(2004年3月2日)


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第11回

牛丼騒ぎに思う


 午前4時。遅い夕食なのか早い朝食なのかはおくとして、気分転換も兼ねて食事に出か ける。こんな時間帯で、国道沿いで開いている店といえば、ファミレスか牛丼チェーンぐらい。数軒物色して、いちばん流行ってそうなお店に入る。
 BSE騒ぎで牛丼が消滅して早や1ヵ月。代替メニューの食べ比べも面白いような気が するのだが、「鮭いくら丼」「豚丼」と、二連敗しているだけに(これはあくまで私の偏見とか好みのレベルであり、決してそのメニューがマズいと誹謗しているわけではない。ただ私にとって、いずれも牛丼独特の「安上がりな幸せ感」が得られなかったのであ
る)、どうしたもんか迷いもある。
 ここはちょいと奮発して「豚の角煮丼」。これはまあまあイケた。生の水菜をちらしてあっさり目に仕上げるのは、「自宅丼」でも応用できるなと、ひとつ学習させてもらっ た。
 チェーン店の牛丼自体、長蛇の行列作って食うほど美味いものか、といえば、そうは思わない。化学調味料の類をなるべく使わない主義なので、自分で作ったもののほうがはるかに美味いのは当然だ。
 それでも外食で温かいコメが食えるのは有り難い。アジア人はコメを食うべし。某マ○ド○ル○なんかよりはるかに文化的だし、勤め人のころはけっこうお世話になった。
 牛丼消滅をめぐって、腹の立つことを一つ二つ。
 先日の牛丼Xデー行列騒ぎに際して、福田官房長官が「寂しい。私もかつてご厄介になったことがある」とコメントしたのに対し、「よく食べていたのか」と質問されて曰く 「よくじゃないけどね。試しに食べたことあります」と……。「試し」かよ。ナメとん か。
 経団連の奥田会長。こいつはもっとナメとる。「牛丼がなければ、うな重を食べればいいではないか」。おフランスの某王妃まがいの妄言は世間の顰蹙を買ったが、これには続きがある。「日本人はどうしたのだろうか。やはり教育に力を入れなければならない」とホザいたのだ。
 何をどう「教育」せえっちゅうんじゃ。牛丼に行列作る「国民性」を問題にするのだったら、化学調味料汚染を問題にしろよ。日本人の味覚をブッ壊したのは化学調味料という名の白い粉、いわゆる「○の素」ではないか。最近では日本だけにとどまらずアジア各国の味覚をもブッ壊していると聞く。奥田会長の言う「教育」なんぞよりそっちのほうが問題だ。まあ、そんなこと言い出した日には、大企業某「○の素」が黙ってはいないだろうが。
(2004年3月16日)


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第12回

淡路島の異変


 久しぶりに淡路島へ釣りに行ってきた。
 明石港から高速船で北淡町の富島港に渡る。イワシのサビキ釣りにはまだ早いが、春のお彼岸の頃に、ここの赤灯台の足下を探ると、けっこう型のいいアブラメが掛かる。煮付けも美味いが、やっぱり刺身だ。
 釣果は午後の3時間ばかりでわずか1匹。潮の満ち干ではなく仕事の休みに合わせて出掛けたのだから、この釣果も致し方なし。むさいオッサン2人、安物の魚肉ソーセージをア テに缶ビール乾してぼーっとしてきただけでも、いいガス抜きだった。
 久しぶりに出掛けてみると、さまざまの「異変」にも気づく。
 明石海峡大橋が架かった所為だろう。船の客は数えるほどしかいなかったし、それ以前に明石港周辺が、見る影もなく寂れていた。船の着くところは、人とモノが動くだけに、何となく華やいだ空気が漂っていて好きなのだが、それがなくなっていた。
 アブラメといえば、東浦町の大磯港から国道沿いを岩屋寄りへ十数分歩いたところに小磯があって、ここがまたよく釣れた。あくまで過去形、である。
 というのは、小磯のすぐ北側に、淡路花博の時に「交流の翼港」が造られた。花博会場まで神戸から高速船で行ける、というアレ、である。海に大きく張り出した船着き場を造るための埋め立てが原因で周囲に土砂が流れ込み、藻がすべて死んでしまったのだ。
 最後にここへ行ったのが明石大橋の架かる直前だったから、もう4年も前のことだ。 「交流の翼港」はあれからどうなったかというと、花博が終わったら用済みで、着く船も訪れる人もなく、いわば「現代の遺跡」と化していると聞く。そんなモノのために、私の穴場がツブされた。
 釣れへんかったけどまあええか、と言いもっての帰り道。淡路志摩の西側海岸線に沿って走る高速船からも「異変」が見える。
 山が荒れている。かつて耕作されていたであろう山の中腹に竹が茂っている。
 そして、頂上まで広範囲にわたって階段状に削り取られた山。ゴミの埋立処分場にでもするつもりか。見るに堪えない風景だった。これが明石大橋からは見えないところがミ ソ、なのかもしれない。
(2004年4月2日)


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