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みずのわColumn

リレー連載・書肆アクセスの閉店から見えてくること


みずのわ出版代表 柳原一徳が、「[書評]のメルマガ」vol.325(2007年9月22日付)に執筆したコラム、です。




リレー連載・書肆アクセスの閉店から見えてくること
その2 万年赤字版元の疑問


 書肆アクセスの閉店がいかに世間から惜しまれようとも、赤字だとか補填するカネがないとか云われた日には、社外の者である私たちはもう黙るしかない……のかもしれない。営利目的の事業者である以上、赤字を垂れ流し続けるわけにはいかない。それは正論だ。
 誰しも考える手順でいえばまず、@経費減、売上増に向けて何らかのテコ入れを図る。それで恢復すればよし、ダメならば次の展開は、A赤字覚悟のうえで他の事業で生じた利潤をもって埋め合わせる。それが無理なら、Bこれ以上傷口が開かないうちに見切りをつける――という線に落ちつくだろう。
 今回の書肆アクセス閉店の件は、ここ2、3年の急激な売上の落ち込みを受けて、トカゲの尻尾切りよろしく、本体である地方・小出版流通センター(以下、地方小)が一気に見切りをつけてしまった、と思えるフシがある。尻尾切りの結果、苦しいと伝えられる地方小の経営が改善される、とでも云ってくれるのならまだわかる。でも、そんな展望など一切無いなかで、書肆アクセスの閉店だけが先行してしまった。ここで一つ疑問を差し挟むとすれば、あそこは地方小出版のアンテナ・ショップである。それを閉ざしてどうするつもりだ? 次に何か切り落とそうにも、もう尻尾は残っていない。一契約版元の不安はそこにある。

 「地方・小出版流通センター通信」No.372(2007.8.15)に、この9年間の書肆アクセスの読者販売、書店現金卸販売の推移が記されている。この通信は、契約版元あてに支払い通知等と共に毎月1回15日頃郵送されるもので、同業者にとっては目新しい資料ではないが、このメルマガの読者は同業者ばかりではなかろうから、情報公開の意も含めて一部を次に引用する。
 通信によると、書肆アクセスでの展示売上は年々減少の一途、書店現金卸は2003年をピークに減少に転じている。この9年間の減少率は、展示売上-31.5%、書店現金卸-51.9%に達し、なかでも昨年の落ち込みがひどく、展示売上-18.7%、書店現金卸-44.0%。さらに今年度に入って以降の読者販売の落ち込みがひどく、書肆アクセスを独立採算事業体と見なせば年間500万円ほどの持ち出しになり、もはや「持ち直しは難しい」という結論に至った、という説明である。
 また、「センター全体の経営での補填という意見もございます。センター全体もぎりぎりの経営状態で(中略)昨今の環境では厳しいものがあります」とある。それは偽らざる実感だろう。私もまた、「書肆アクセスが赤字であろうとも、センター全体で補填すべき」という意見である。が、本屋は本を売ることでしか経営を立てる方法がない以上、それがままならぬときた日には頭を抱えてしまう。
 もう一つ、通信には「『書肆アクセス』的空間が神保町にあって欲しいという声が地元の方々からもあり(中略)『本の町・神田神保町を元気にする会』の方々の配慮によって、現状の店舗は閉店しますが、別の神保町の一角に『書肆アクセス』という名前を引き継ぐ『インショップ』形式の店を作る方向で検討していただいています。運営主体は代わることになると思いますが、小売り販売空間としての『書肆アクセス』は継続出来るよう追求していきます」と記されている。

 書肆アクセスの売上減と赤字、それだけが諸悪の根源なのだろうか? どうしてこんなに売れなくなったんだと云い出せば、それは殆どの新刊書店、古書店が直面する問題だろう。とはいえ、売れない、赤字だと云って店を閉めるときた日には、日本全国で一体どれだけの本屋が姿を消すことになるのだろうか。このご時世、書店、取次、版元で、儲かっているところなんて自費出版業者くらいだろう。騙しだまし続けている、というのが実情ではないか。
 版元サイドの騙しだましといえば小社も然りで、まず地方小に出荷した本の動きが芳しくない。新刊見本配本を絞り込んでいるのだが、それでも返品は増える一方で、傷みの少ない分を客注品に廻してもらおうにも、それでも余剰が出て戻ってくる。だからと云って、見本配本までやめるわけにはいかない。無駄が多いとはいえ、新刊販促のシステムを全否定することはできないし、一冊でも多く手にとって頂くためのチャンネルを自ら閉ざすわけにはいかない。そんなことした日には、ただでさえ売れないものがますます売れなくなってしまう。しんどくても続けていくしかない。
 地方小扱いの売上が右肩下がりなら、頼みの綱の版元直販もまた目も当てられない状況だ。DMによる版元直販が結構大きかったのだが、それとて過去の話だ。以前は経費10万円かけて発送して30万円の売上があったが、ここ数年は10万円あれば御の字、下手すると5万円を切ることもある。悲惨な状況だが、かと云ってやめるわけにもいかない。年に2〜3回程度とはいえ小社の生存通知であり、メエルで新刊案内を送っても注文のない人からDMによって初めて注文を頂くことも多い(現実に、ネットでの注文なんて月に2、3件程度しか入らない)。一見インターネット万能にみえる世の中だが、アナログ情報は捨てるわけにはいかぬ。赤字垂れ流しであろうとも続けるしかない。そこのところは、古書店のDM目録とも通じるところがあると思う。
 集会等での直販も振るわない。今年の8月15日、神戸市内で開かれた平和運動の100人規模の集会に売りに行ったが、本2冊にCD1セット。参加者に殆ど見向きもされないなかで、個人的に親しくしている主催者自ら買うもしくは知人に周旋してくれた結果だ。それがなければ坊主だった。自ら版元を始める前の経験から云うと、10数年前迄は、市民運動の集会は飛ぶようにとまでは云わないけれども、そこそこ売れた。労組なんかに持っていけばある程度まとめて買い取ってくれた。――とはいえ、半年くらい経って行ってみると、買い取ってもらった本の梱包が封も開けず埃をかぶっていた、なんてことも多々あった。予算はあるけれども、読み手はいなかったということだ。今は予算もないことだし、読まないものは初めから要らないということになる。ゼニの有無が問題だとしたら、初めから本なんか買いもしない今のほうが或る意味よっぽどまともだ、とも思えてくる。読み手なんて初めから存在しなかったのだ。
 とどのつまり地方の零細版元は、元々少ない、且つこれから先も減る一方の読者に対し、作った本を確実に届けるしか手がない。にもかかわらず、それができていないところに忸怩たる思いがある。直販も地方小扱いも年々縮小していくなかで、書肆アクセスまでもが消滅する。チャンネルはますます閉ざされていく。悪循環が断ち切れない。

 みずのわ出版を創業して、今年でちょうど10年になる。地方小と契約した当時の配本表を見ると、今はなき鈴木書店、柳原書店が載っている。配本先も、今は姿を消した書店が多々あるし、それよりもいつの間にか大型書店ばかりになってしまい、個人商店は関西ではユーゴー書店と海文堂書店だけになってしまった。地方小が定期的に出稿していた朝日新聞東京本社版の共同広告も無くなった。地方出版のフェア等の企画も、最近は聞いたことがない。この10年の間に、手足をもがれ続けてきたような気がする。
 関係者の誰もが口を揃えるところであるが、結局、読み手の減少とネット書店の台頭がとどめを刺したのだろう。表面的な事象のみとらえて云うなれば、書肆アクセスも、そのなかで役割を終えたということになるのかもしれない。
 そう云い切った日には「否、リアル書店の役割は終わってはいない。ネット書店とは違う」と反撥を受けるだろうし、私もそう思う。けれども、固定客というか、そういうお客さんだけでは書店一つ維持できなくなってしまった、というのが実情だろう。近年は、「商品」としての本の寿命が短くなってしまったこともあり、版元、書店とも食いつなぐ手段が細っている。考えだしたらキリがない。
 書肆アクセスのじり貧は、突き詰めれば地方小本体のじり貧でもある。書肆アクセスを切ったところで目先の赤字は減少すれども、問題の根本は解決しない。却って「窓口」を閉ざしたことによるマイナス効果のほうが大きいと考える。
 だが、ここまで大鉈振るってしまったからには、これから先どうすれば本が売れるのか、必要とする読者に届けられるのか、そこのところ性根を入れてかからなければ先が無くなってしまう。契約版元の売上増は地方小の売上増でもあるのだから、ブックフェアやイベント等様々の売れる仕掛け、本屋に足を運んでもらう仕掛けに、もっと取り組む必要があると思う。でも、それを仕掛けようとした時に、有効な一つの拠点としてあったはずの書肆アクセスはもはやこの世には存在しない。それ以前に、今回の問題は「まず、書肆アクセス閉店ありき」で推移しており、「その先の展開」について何一つとしてふれられていないのである。

 先に引用した地方小の通信の中で、書肆アクセスを「インショップ」という形で残したいということが書かれていた。ある同業者によると、それは神保町某書店の中に「書肆アクセスコーナー」を置くということらしく、それは完全に地方小の手から離れることになる、という。
 そういった具合の「地方小」コーナーなら、すでに何軒かの書店でつくられてきたが、それと書肆アクセスとはまったくの別モノだと思う。たとえば、長らく足を運んだことがないので今はどうなっているのか知らないが、八重洲ブックセンター本店の「地方小」コーナーなんて、云っちゃ悪いがおざなり以外の何ものでもない。確か6階の外れだったと思う、ほとんど客足のない所にひとまとめに「全国の地方出版物」のコーナーが設置されていたわけで、確かに品数は都内でトップクラスだろうが、そんな扱い方で、本が手にとってもらえるわけがない。地方小の本の揃いでは全国トップクラスといわれてきた八重洲ブックセンター本店でこの体たらくだ。これを見てげんなりした覚えのある地方版元は多いと思う。
 いずれにせよ、現行の書肆アクセスは11月17日を以て閉店、畠中理恵子店長ら書肆アクセスを取り仕切ってきたお三人さんは退社する。これだけは動かしようのない事実だ。新しい「インショップ」形式の「書肆アクセス」コーナーには、いつものお三人さんは居ない。神保町という〈地〉であり、地方小出版という〈棚〉であり、ここに吸い寄せられる〈人〉であり、これら構成する要素すべてが書肆アクセスという〈場〉であり、それが消滅するということ、そうして失われるものの大きさを、地方小本体はあまりにも軽視しすぎているのではないか。

 書肆アクセスの閉店を伝える地方小の通信No.371(2007.7.15)に、「今後、現在、直接取引をしている都内大型書店等を中心に働きかけ、いままでの『書肆アクセスの展示機能』を補う販売棚の拡充に努力を傾けてまいります」との一文がある。「インショップ」形式云々の議論はここから発しているのだろうが、書肆アクセス閉店→大型書店を以てしてその機能を代替――という論は、突き詰めれば地方出版、零細出版、そして町の本屋の全否定にほかならない。同時に、それは地方小自体の全否定にもつながる。
 身も蓋もないけれども、極論してしまえば地方・零細の版元なんて必要ないのだ。市場に大量にタレ流すことだけ考えたら大手の方が気が利いている。でも、宣伝力や部数の多寡ではない、あんなヤツらに任せられるかという確信を持つからこそ、どこの版元も持ちこたえているわけで、地方小も含め、それだけは譲ることのできない一線ではなかったのか。
 仮に、一つの大手版元がツブれても、同じような企画の本は他でも出るだろう。けれども、地方・零細の版元がツブれたら、その本を出すところはおそらく他にはない。となれば、たとえ赤字を出して彼方此方に迷惑をかけようとも、どうにかして踏ん張り続けるしかない。

 小社もまた、少しでも本が売れてくれるように、そのために少しでも本屋さんに足を運んでもらえるようにと、著者と地元神戸の海文堂書店の協力を頂いて、ブックフェア、トークショー、古本市、ライヴなど、様々のイベントを仕掛けてきた。昨年末には海文堂書店人文書担当の平野義昌さんがPR紙「海会(カイエ)」に連載してきたぶっちゃけエッセイを元に「本屋の眼」を刊行した。奮闘努力の甲斐もなく……と寅さんみたいなことを云うが、今のところこれらの取り組みが売上の大幅な増加には繋がっていない。でも、やらなければゼロだ。カラ元気であろうとも継続していくしかない。赤字だから、大して儲けが出ないからと云って諦めてしまったのでは先がない。
 地方小本体が書肆アクセスの売上を増やすために、ひいては契約版元の売上を増やすために、神戸における海文堂書店・小社・著者によるささやかな取り組みのようなもの、をこれまできっちりとやってきたと云えるのか? カラ元気だけで持たせている万年赤字版元の目には、刀折れ矢尽きての書肆アクセス閉店、とは映らないのである。


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