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みずのわColumn

みかんの島の不都合な真実 2024年11~12月

みずのわ出版代表 柳原一徳が2024年11~12月、山口新聞社会面「東流西流」に毎週1本寄稿したものです。

11月3日
気候変動下の農業

 周防大島安下庄在住、柑橘67アール栽培(註…その後畑を減らし、2026年現在54アール)、本業の出版社は創業27年、農家兼業12年目を迎える。
 台風の雨が降り始めた日(1日)に原稿を書いている。この新聞が届く日には、おそらく私は朝から晩までみかん作業に追われている。去年を凌駕する猛暑旱魃による作業遅れがいまだ取り戻せていないからである。
 朝5時に家を出て7時半まで作業して帰宅、ひと風呂浴びて一時間休む。数年前なら11時頃まで粘れたが、年々気温が上がり、作業終了時刻が前に倒れていく。日中仕事場に籠って原稿を読む。熱気が籠る夕方のみかん作業はパス。これが夏場のルーティンになった。
 無理して身体を壊しても農家に労災は出ない。多少作業が遅れたところで命まで取られはしないと開き直るしかない。現状、草刈りが遅れている。鳥害対策も手つかずだ。
 あらゆる作物が気候変動の悪影響を受ける。みかんは今年も収量減、品質劣化不可避である。ここ10年ほど、よかったと言える年が一度もない。
 気候変動下にあっても秋は釣瓶落とし、夕方5時半過ぎれば一気に真っ暗、朝6時は暗い。作業可能な時間が限られるが、それでもやるしかない。季節は待ってくれない。
 今月も、第2週を除き高温で推移するとの予報が出ている。

11月10日
改植は未来への投資

 気候変動によりみかんの栽培適地が北上し、北関東や北陸地方が適地になるという説が、まことしやかに流布している。
 雨が降るべき時期に降らない、雨が少ない時期に大量に降る、去年と今年の1~2月のように暖冬だが強力な寒波が波状的に到来するなど、温暖化とは、極端な高温と低温、災害級の降雨と長期の無降雨が併存するものである。日本海側では海水温上昇により水蒸気量が増え、冬の降雪量が増加する。低温で樹勢が弱り、連年の安定生産が見込めない。これでは産地化できない。
 温暖化により栽培適地が北上するのではない。栽培適地が無くなるのが、温暖化の恐怖である。
 連年の猛暑、大雨、旱魃、暖冬、寒波等により、青島、南柑20号、宮川早生などの在来種みかんの収量が落ち、品質が劣化し、毎年憂鬱な収穫期を迎えている。悲しいかな、今の大島は在来種みかんの栽培適地ではなくなってしまった。
 その地に適した品種の選定こそ、百万言の農業指導にまさると言われてきた。
 わが農園では、気候変動に対応できない在来種を伐採し、寿太郎温州、不知火(デコポン)、スダイダイ、カボス、璃の香(レモンの新品種)等への改植を進めている。
 改植で成木が激減したため、去年今年とも収穫物が少ない。寂しい農繁期だが、改植は未来への投資、向こう10年の辛抱である。

11月17日
カボスとスダイダイ

 甘味ではなく酸味を味わうかんきつを、「香酸柑橘(こうさんかんきつ)」と呼ぶ。うちの農園では、カボス、スダイダイ、璃の香(レモンの新品種)を栽培している。
 高校時代にカボスと出会った。大分県の豊後竹田にカボスというウマいものがあると知った父が通販で求めた。ひと搾りで麦焼酎の香りが立ち、焼肉、焼き鳥、焼き魚、鍋がウマい。カボスの無糖炭酸水割りは至高の飲料である。時効だが、これで私は焼酎にハマった。
 11年前に就農してまず実行したのがみかんからカボスへの改植である。自分が食してウマいものを栽培するということだ。
 あわせてスダイダイの増産に取り組んだ。私が長く居住した関西や、一年だけ暮らした首都圏ではなじみが薄いが、瀬戸内西部から北部九州にかけての地域ではポピュラーな品目である。
 スダイダイは病害虫に強く、減農薬栽培が容易で農作業の負担軽減になる。ウマくて身体によい、島のすぐれた食文化を島外に広めたいと考えた。
 農協出荷では二束三文、これでは農業経営が持続できない。本業である出版業の顧客に向けての直売から、少しずつリピーターを増やしていった。
 8月末に収穫するカボスの凛とした酸味は残暑の疲れを払ってくれる。11月に収穫するスダイダイの優しい酸味は身体を芯から温めてくれる。
 旬とは何か。農家兼業になって初めて理解できたことの一つである。

11月24日
気候変動と品質劣化

 大津四号(在来種の温州みかん)の今季初収穫は18日。着色の早い畑で収穫したみかんの品質が、これから収穫を始める他の畑の出来不出来を占う基準になる。
 その前週に富山で本業の印刷立会があり、数日留守にした。出発直前のチェックでは、収穫まで1週間から10日の見立てだった。
 留守中、最高気温20度超えの、11月とは思えない異常高温が続いた。これがとどめとなった。コンディションの急激な悪化をみて緊急収穫したみかんは、縦に膨れて表皮が浮き、味のボケた玉が大半を占めていた。
 それでも踏みとどまった、数少ない良玉を試食してみた。糖はそこそこ入っているが、酸味が弱く、余韻ある後味が残らない。最も条件のよい畑でこれでは、他の畑は推して知るべし。高値をつける直売には出せない。大津四号と青島温州の直売中止のお知らせメールを顧客に送信した。
 直売中止でも廃棄するわけにはいかない。農協出荷で、外観がきれいで糖度があれば正果として市場に出る。私が直売から除外するレベルの玉でも、選果場のセンサーによる計測ではそこそこの糖度があるとされる。これが消費者向け品質保証なのではあるが、みかんのうまいまずいは糖度だけで決まるものではない。
 今年のような気候が今後のノーマルであれば、本当にうまいと言える在来種の温州みかんは、もう大島では作れない。

12月1日
農業では食えない

 11月27日午後6時30分に流れた農協無線より。25、26日売り、早生ミカンの市況は、キロ平均単価、特選島そだち587円、1級358円、2級(販売途中につき先週末の価格)323円。2L、3Lの比率が高いが先週同様に引き合いは強く、29日の最終販売まで順調に販売できる見込、とのこと。
 今年のミカンは昨年以上に高値というが、超のつく不作で販売可能な物量が少ないから値が上がるのであって、これで単純に農家が潤うわけではない。それどころか、資材費、運送費ほか諸経費が高騰している。これらがしっかり天引きされる仕組みになっている。昨年度までの実績では市場販売額の30%程度が天引きされてきたが、何から何まで値上げ一辺倒の今年は30%どころでは済むまい。
 青島温州の農家の手取り額は、高値と言われた昨年度の実績でキロ250円程度(特選、1級、2級ひっくるめての平均額。農協作成の農業所得計算基礎資料より)。1反(約10アール)の畑で1級正果が1トン出荷できたとして、手取り25万円。農協の指導通りに耕作したとして、1反あたりの肥料代11万円、農薬6万5000円、これに機材のメンテ、燃料、石灰、堆肥、液肥ほか必要経費を加算すれば日当が出ない。農業では食えない。年々拡大する耕作放棄地を眺めつつ、逃げたヤツらが一番賢いよな、と独り言ちている。

12月8日
無農薬栽培の受難

 明けても暮れてもみかん一辺倒では、第一次産業の奴隷みたいで面白くない。安全でうまいものを毎日食べる、それが農家の特権である。農家と出版業の兼業で時間に余裕がなく、売りに出すほど作れないが、食卓に旬の野菜を絶やさないよう、家庭菜園を維持している。
 10月半ばに大根の種子をまき、11月末に間引き、一本立ちにして肥やしを入れた。初収穫は今月末の見込み。例年なら9月初めから10月下旬にかけ時期を分けて種子をまき、11月下旬以降春先まで大根には不自由しないのだが、今年はそうはいかなかった。
 9月の気温があまりにも高すぎた。大根の種子は高温下で休眠する。つまり発芽しない。発芽しても高温で根が焼けて枯死する。私の野菜作りの先生である岩国の種苗店によると、顧客の農家が9月に種子をまいて全滅、10月にまき直した、こんなこと初めてという。
 白菜の害虫にも悩まされた。彼岸の頃に定植、ひと月もたてば気温が下がり、ヨトウムシやアオムシの食害が無くなるのだが、今年はいつまでも気温が下がらず、害虫の活動期が長くなった。自家用とて無農薬で栽培するのだから被害は大きい。本業の超絶多忙でチェックが甘くなったのも災いした。12月に至るも、いまだ家庭菜園の白菜と大根で鍋ができずにいる。
 気候変動により病害虫の活動期が拡大するほどに、無農薬栽培は困難の度を深めていく

12月15日
毒ガスの平和利用?

 ミカンバエという害虫がいる。表皮の薄い温州ミカンやポンカンに産卵、食害果実は秋から冬にかけて落果、脱出した幼虫が土の中でサナギになり越冬、翌年夏に羽化する。
 ハエと称するがその幼虫はハチノコのようなもので、腐敗物や排泄物を餌にするウジ虫ほど汚いわけではないが、これがミカンの中から出てきたら、大半の消費者は受け付けてくれないだろう。
 周防大島では、ミカンバエの防除農薬を8月15日から31日までの間に散布する決まりで、ネオニコチノイド系殺虫剤(以下、ネオニコと略す)を使用する。ネオニコは90年代以降普及し、市場に出回る野菜や果実の大半に使用されている。
 ネオニコの特徴として、浸透性が高く洗っても落ちない、動植物の体内や環境中に長期にわたり残留する、神経毒性が強い、などが挙げられる。
 神経伝達を阻害して昆虫を殺す。昆虫も人間も同じ生物であることを忘れてはいけない。成長過程にある子どもの脳の発達への影響が懸念される。農薬は、実は毒ガス兵器の平和利用である。これが人間も環境も破壊する。
 ミカンの開花期にもネオニコを使用する。花に寄る昆虫の爪が花芯の果実に傷をつけるのを防ぐ。果実品質ではなく外観を保持するため。消費者の意識もまた問われる。
 ミツバチなどの激減はネオニコが原因である。レイチェル・カーソンが著した「沈黙の春」は、いまや農村の現実である。

12月22日
ネオニコ不使用実験

 前回、ミカンバエ産卵防除のため、人体と環境に有害なネオニコチノイド系殺虫剤(以下、ネオニコ)を8月に散布すると記した。ミカンが商品である以上、有害とわかっていても散布するしかない、と考えていた。
 一昨年、うちの農園の極早生ミカンからミカンバエの幼虫が出た。隣が耕作放棄地で日照と通風が阻害されると、ネオニコを散布しても防除し切れないとわかった。病害虫の発生源となる放任・荒廃園地が増えて生息密度が高まり、気温上昇により成虫の活動期間が長くなる。農薬に対する抵抗性の獲得もある。
 元々は日照など好条件を備えていたが、産地崩壊の進んだ今、温州ミカン栽培の条件を満たさくなった畑は少なくない。農薬被曝の危険を冒してネオニコ散布してもミカンバエを防除し切れないのであれば、条件の悪化した畑で温州ミカンを栽培してはいけない、と考えるようになった。
 うちの農園で在来種の温州ミカンを見限り他品種への改植を進めているのは、気候変動対策が第一であるが、実はネオニコに頼らない農業の確立に向けた実験でもある。
 去年今年と、日照・通風条件の良い畑の温州ミカンに対するネオニコの散布を見送った。収穫後の貯蔵期間を長めに設定し、外観の悪いミカンをジュースに加工して食害の有無をチェックする。発生皆無とはいかぬが大きな問題はないというのが現時点での結論である。

12月29日
産地崩壊という絶望

 私が住む安下庄の庄北柑橘組合の加入世帯数は、30年前(1994年)の34世帯が現在10世帯に、隣接の庄南区は39世帯が現在16世帯に、それぞれ激減した。そして庄北の1世帯(90歳代、男性、独居)が今年限りで耕作をやめる。
 周防大島のミカン農家の3分の2が70歳以上。かれらの大半に後継者はいない。食えない重労働。子や孫は継がぬし、無理に継げとも言えぬ。移住者で賑わう島と外向き目線で喧伝されるが、ミカンの新規就農者は少ない。
 今ある在来種ミカンの古木1本で最大200キロとれるのが、もし改植すれば数年は収穫ゼロ。本格稼働まで10年前後かかるが、その頃には人間の寿命が尽きている。
 ミカンの木の寿命は短く、30~40年程度。計画的に改植を進め、持続可能な状態を維持せねばならぬが、今の代で終わりとなれば改植は進まぬ。今ある古木はおそらく、今耕作している人たちとほぼ同時に命が尽きる。
 戦後日本に農政と言えるものは無かった。戦後80年の農業崩壊は、農を棄てた戦後社会の歪みを映す。耕作放棄が進み栽培環境が悪化すればミカンは作れなくなる。周防大島のミカン産地は早晩崩壊する。集落崩壊と読み替えることもできる。人口は減少すれど中央一極集中は進む。一方で、地方崩壊は末端から始まる。もはや、どうすることもできぬ。絶望の中で、今あるミカンを守り育てるしかない。

こんにち話
(聞き手=共同通信宮崎支局長・上野敏彦)

共同通信のインタビュー企画「こんにち話」で、「民俗学の巨人、宮本常一」と題して、みずのわ出版代表 柳原一徳へのインタビュウ記事が配信された。2007年11月14日付山陰中央新報などに掲載。

◎無名の人々が偉かった
やり残した仕事に関心

 〈今年は民俗学者の宮本常一(1907-81年)が山口県・周防大島に生まれて100年。生涯の大半を離島や山村などの振興に尽くすため、地球を4周分も歩いてきた。故郷の後輩として「宮本常一のメッセージ」「宮本常一写真図録」の2冊を出版した〉
 生誕100年だからという意識はありません。そうであろうとなかろうと出すべきものは出す、それが本屋の仕事ですわ。まあ、これを機会に少しでも本が動いてくれたらうれしいですけど。ともかく宮本はどエライ人。でも、彼が訪ね歩いた無数の、無名の人々が偉かったということなんです。だから「忘れられた日本人」をはじめ多くの作品が生まれた。
 今回出した「宮本常一のメッセージ」は、地元の郷土大学の講義録をまとめたもので、「宮本の旅と思想」が全体のモチーフです。宮本にほれこんだ作家の佐野眞一さんや立松和平さんたち、語り手五人の実践と、宮本の世界がどう通底するかを読み取ってもらえればと思います。

 「宮本常一写真図録第1集―瀬戸内海の島と町」は、周防大島文化交流センターでの企画展示を元に作った本で、約二百枚の写真を収録しました。宮本が旅先で関心を寄せたものは、例えば漁船の造り方の変化だったり、道行く人々の足元、護岸の変わりようなどと多岐にわたっています。
 彼の写真は昭和30-40年代のノスタルジーというとらえ方をよくされるが、それには違和感があります。今の時代に宮本の文章や写真は、へき地の救いようのない現実をどうみていくか、そしてわれわれはどう生きるか、という問いを突きつけているのではないでしょうか。この図録の価値が世間に広く認知されるのは、ワシらが死んだ後だと思いますよ。
 〈宮本常一著作集は未来社から刊行中で、49巻目が近く出版される。民俗学に関心を持つ人も、じりじりと増えている〉

 宮本が全国離島振興協議会を発足させてから亡くなるまでの30年間に季刊「しま」に執筆した記事を、来年から「宮本常一離島論集」として刊行します。それと写真図録を年に2点くらい出していきたい。しんどいですよ、きっちり作ろう思うたら。地味やけれど、基礎資料を後世に残していくことが大事と考えています。
 宮本が残した遺品や手紙なんかには興味がありません。それよりも、宮本がやり残した仕事は何か、その先の展開はどうなるんだと、その先が気になる。だからこそ、この仕事を続けているわけです。
 〈阪神大震災を体験した後、神戸で出版社を開業。一人でこれまでに約70冊の書籍を世に送り出した〉
 被災して分かったのは、個人では何もできないということ。神戸も、さみしいけれど、薄っぺらな町になってしまった。本屋も少なくなったし、神戸を引き払って故郷へ拠点を移すことも一時は考えたのです。だけど、人が出入りするところでなければ、版元はやっていけないことに気づいた。
 神戸ってね、夜の10時すぎに松山行きの船に乗れば、翌朝には故郷の周防大島へ帰れる。この安心感は大きい。仕事が回るのは大阪がらみのことが多いので、当分、大阪との間を行き来しながら、月に一度は大島へ帰り、いろいろ考えていきたい、と思うてるんですわ。

今年もよろしく 2007年1月8日
ネット新聞「ジャーナリスト・ネット」

みずのわ出版代表 柳原一徳がネット新聞「ジャーナリスト・ネット」に執筆したコラムです。
http://www.journalist-net.com/

「宮本常一叩き売り」批判

 暮れも押し迫った26日の午後、みぞおちから背中にかけて呼吸も止まるほどの激痛に襲われ、神戸市立西市民病院に担ぎ込まれた。急性膵炎だった。幸い3日間の入院ですんだが、仕事は止まるわカネはかかるわ酒は呑めんわで、まったくいいことがなかった。積年の飲酒も一因ではあろうが、過度のストレスとそれに伴う不規則な生活が最大の原因であろうことは間違いない。「過度のストレス」の元になった出来事を以下に記す。

 小社では、「宮本常一離島論集」(宮本常一著、全国離島振興協議会・日本離島センター監修)の刊行を企画し、全5巻の章立てと内容校正、詳細な索引取り、写真選定、解説依頼等々、滅茶苦茶に手間暇のかかる作業を数年かけてちびちびと進めていた(小社サイトに刊行予告を掲載している)。
 ところが全5巻の内容のうち、著作集・単行本未収録のいわゆる「掘り出し物」(全体のほぼ半分にあたる)を「宮本常一エッセイ・コレクション」(全6巻)の第2巻「島の人生」として刊行する、ということで河出書房新社が昨年11月末頃全国の書店に予告ビラを配布した。それも、版権者である全国離島振興協議会・日本離島センターにまったく許可をとらぬまま作業が進行しており、あろうことか刊行予定が私の耳に入った時点で通しゲラまで組まれていた。
「宮本常一エッセイ・コレクション」責任編集の木村哲也氏(周防大島文化交流センター学芸員=当時)による、小社企画からの盗作と判明するのに時間はかからなかった。
 去年の夏に周防大島文化交流センターを訪ねた折、私は、宮本常一が季刊「しま」(1953年12月、全国離島振興協議会の機関誌として創刊。1973年以降、財団法人日本離島センターの広報誌として継続発行)に執筆した論考の一覧を、木村氏の依頼を受けて手渡していた。それは、各論考の「しま」掲載号と発行年月日、原稿枚数、著作集収録の有無などを記したもので、あくまで編集作業中の出版企画のための資料ゆえ取扱にあたっては十分に注意してほしい旨、口頭で伝えた。木村氏が宮本蔵書の整理・研究のために使うものと信じて資料を提供したわけだが、それが裏切られた。木村氏は河出書房新社刊「島の人生」を編むために、小社の資料を断りもなく使用したのだ。研究者の端くれであるはずの木村氏がまさかそんなルール違反をするはずがない、という私の認識そのものが甘かった。
 さて、刊行は中止されたが、その後が長かった。事件の発覚から「宮本常一エッセイ・コレクション」全巻刊行中止決定に至るまで2週間、木村学芸員辞職に至るまで3週間を要した。詳細は端折るが、東京の大手出版社というヤツの横暴を改めて痛感した次第、である。それと、編集者、編・著者の資質についても考えさせられた。12月15日付blog「みずのわ編集室」に「実力とか見識の欠片も持たぬ輩が、他人の仕事の上澄みだけをちゅうちゅう吸うて、あたかも自分の実績であるかのように尊大に振る舞う、という醜悪極まりない構図に辟易している」と記したのは、実は彼らを指してのことだ。
 論文捏造問題で、多比良和誠東大教授と杉野明雄阪大教授が懲戒解雇になった事件は記憶に新しい。つまるところ研究者とか書き手の力量が低下しているということだ。同時に、編集者の力量も低下している。そのような現状にあろうとも、いや、だからこそ自らの力量を高めていかねばならないのだが、そういったシンドイことを忌避する動き、「楽して儲けて何が悪い」と開き直るホリエモンの錬金術にも通じるお手軽なパクリ商法が、いま、本をめぐる業界でも横行している。
 その点でいえば、河出書房の問題の企画は「軽薄」の一語に尽きる。今年が宮本常一の「生誕100年」にあたるがゆえ、それを当て込んだ「売らんかな」の姿勢が見え見えなのだ。確かに宮本常一の文章はどれもいい。だが、ただ単に「いい文章」をだらだらと並べただけでまともな本が成立するかと云えば、それは大間違いだ。編者と編集者の力量がそこに表れる。ましてやろくな編集もできぬ者が「著作集・単行本未収録」(だけ)を売りにするなど、それこそ「生誕100年 宮本常一叩き売り」にほかならない。
 各巻のタイトルも人をバカにしている。たとえば「第4巻 忘れられぬ日本人――私の学んだ人」。考えなくともわかるはずだが、「忘れられた日本人」(岩波文庫、未来社著作集10)の著者が没後とはいえ「忘れられぬ日本人」なんて本を出すか? 「第1巻 歩く・見る・聞く――日本の津々浦々を訪ねて」「第6巻 日本の民俗を訪ねて――聞き書き民俗採訪録」など、稚拙にすぎる。
 結果オーライだが、こんなシリーズが出なくてよかった。それこそ故人への冒涜だ。

「静かな宮本ブーム」と云われて久しい。「宮本常一とお題目を唱えていれば何をやっても褒められる」といった、上滑りとしか云いようのない動きも見聞きする。「ブーム」の「底」なんて、えてしてそんなものなのだろう。
 もちろんウチも商売だ。1点でも多くいいものが出せるのならば出していきたいし、宮本関連のフェアや講演会ではしっかり売らせて頂く。そうすることで一人でも多くの読み手と繋がっていきたいと願っている。だが、「生誕100年」とか「宮本ブーム」に乗っかっただけの軽薄な動きとは、徹底して一線を画していきたい。ウチは古典となりうるものを作る。そうでなければ本とは呼べぬ。
 数年越しの「宮本常一離島論集」。そんなわけで「生誕100年」の騒ぎが過ぎ去った頃、満を持して世に出す所存、である。今年は無理、ならばそれでいい。「生誕100年? だからどうした」。その時はこう云ってやろうと思っている。

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