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瀬戸内海の島と町広島・周防・松山付近?

宮本常一写真図録 第1集

瀬戸内海の島と町 広島・周防・松山付近?

編著 周防大島文化交流センター写真 宮本常一監修 森本孝発行 みずのわ出版
2007年8月刊
A5判並製154頁
本体1800円+税
ISBN978-4-944173-50-1C0336
装幀 林哲夫
価格 <% total_price.toLocaleString() %> 円(税込)
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宮本常一の写真はいつも、新しい発見に満ちている――
周防大島文化交流センターが所蔵する、民俗学者宮本常一(1907-1981)撮影の写真約200点掲載!

(前略)ここに掲載された写真を一見してわかるのは、写し込まれた情報量のおびただしさである。
 宮本は家並みや屋根の形、洗濯物が干された風景や道の曲がり具合からさえ、そこに暮らす民衆の暮らし向きと、意思を読み取っている。植生や地形を写しただけの一見何の変哲もない写真からも、その背後に広大な人文地理学の埋蔵量が感じられる。とりわけ、高台に登って撮影した俯瞰写真や、上空からの航空写真には、その景観に直接写ってはいない、土地の交通、交易のあり方まで想像させるパワーがひそんでいる。
 留意しなければならないのは、それが単に学校教育による知識ではなく、自分の血肉にまで消化した人文地理学の知識によって裏打ちされているらしいことである。これは、宮本の写真以外ではあまり感じられない感触である。(中略)
 宮本の写真は、セピア色をしたノスタルジックな世界を感じさせるにとどまらない。
 宮本の写真には、さらにその奥にある、人間の営みの愛おしさと哀しみにまで届いているように感じさせるだけの力がある。
 それは、父・善十郎の教えや、生涯の師と仰いだ渋沢敬三から受けた感化に加え、地球を四周するほどの旅を重ねることによって、目の前の風景から愛情をもって人々の生活を正確に読み解く、知の等高線を自分の足裏に確実に刻んでいったからだろう。
 宮本の写真はいつも、新しい発見に満ちている。
――佐野眞一(ノンフィクション作家)本書解説より

[目次]
Ⅰ 復興する広島を歩く
広島という町――広島市
広島城下――広島市
被爆と復興――広島市
宮本常一の写真から Ⅰ 宮本常一と広島、そして瀬戸内海の変化 佐田尾信作(中国新聞記者)

Ⅱ 広島湾のくらし
カキ養殖――広島市
海を失った漁村――広島市仁保
民衆の信仰を集めた安芸の宮島――広島県廿日市市
空から見た横浜と似島――広島県安芸郡坂町・広島市南区
古い造船地 倉橋島――広島県呉市
段々畑と無人の島 鹿島・横島――広島県呉市
空と海から見た能美島・江田島――広島県江田島市
宮本常一の写真から Ⅱ 「広島湾のくらし」その後 印南敏秀(愛知大学教授)

Ⅲ 町の変貌、島の変貌
岩国界隈の変貌――山口県岩国市
塩を炊いた島 柱島――山口県岩国市
人口流出、共同井戸、平等分割 端島・黒島――山口県岩国市
問屋商人の町 柳井――山口県柳井市
帆船の築いた町 室津・上関――山口県熊毛郡上関町
小さな島の文化交流 八島――山口県熊毛郡上関町
宮本常一の写真から Ⅲ あの島、あの街は今…――上関・柳井の写真から 谷沢明(愛知淑徳大学教授)

Ⅳ 松山から忽那の島々へ
四国の旅の玄関口 松山――愛媛県松山市
県境の島 津和地島――愛媛県松山市
変化する島のくらし 怒和島――愛媛県松山市
協働精神で生きた島 二神島――愛媛県松山市
無人島になった島 由利島――愛媛県松山市
宮本常一の写真から Ⅳ 島びとの原風景 豊田渉(松山市中島総合文化センター)

Ⅴ 車窓の風景
車窓の風景――大畠~広島~大竹~阿多田島
宮本常一の写真から Ⅴ 宮本写真の変遷を読む 伊藤幸司(写真編集者)

解説 佐野眞一(ノンフィクション作家)

資料篇
周防大島文化交流センターの活動に寄せて 森本孝(元日本観光文化研究所『あるくみるきく』編集長)
周防大島文化交流センター活動記録
宮本常一の調査ノート『宮本常一 農漁村採訪録』頒布のお知らせ
周防大島文化交流センター 案内

執筆者一覧(50音順)

伊藤幸司(いとう・こうじ)
1945(昭和20)年生。早稲田大学では探検部と写真部に所属。大学7年目に宮本常一が所長を務めていた日本観光文化研究所に海外冒険部門が発足し、立命館大学探検部OBの森本孝らと行動する。その責任者は南極最高峰ビンソンマシッフ遠征くずれの東京農業大学探検部創設者・向後元彦と東京都立大学山岳部OBの宮本千晴(のちに世界のマングローブを調査・育成するコンビ)。PR誌『あるくみるきく』の編集・執筆などに携わったのちにフリーのライター・編集者に。83年以降中高年登山に携わり、『地図を歩く手帳』『富士山・地図を手に』『旅の目カメラの眼』『カメラマン手帳』『歩く本』『がんばらない山歩き』『ゼロからの山歩き もっとゆっくり登りたい』などの著書がある。毎日新聞社ビジュアル編集部の平嶋彰彦とは大学写真部の同期で、『毎日カメラ読本』『世界遺産』(全12巻)を経て『宮本常一 写真・日記集成』(全2巻・別巻1)の編集に携わった。

印南敏秀(いんなみ・としひで)
1952(昭和27)年生。武蔵野美術大学造形学部卒業後、日本観光文化研究所、京都府立山城郷土資料館を経て、現在愛知大学教授。大学在学中から瀬戸内海の沿海文化の調査を続けている。主な調査地は郷里の愛媛県新居浜市、香川県琴平町、広島県三原市・瀬戸田町(現尾道市)、山口県久賀町・東和町(共に現周防大島町)など。著書に『水の生活誌』『京文化と生活技術』『共同浴の世界』『東和町誌 各論編第4巻 石造物』『東和町誌 資料編第4巻 石風呂』『東和町誌 別編 島の生活誌――くらし・交流・環境』などがある

佐田尾信作(さたお・しんさく)
1957(昭和32)年島根県平田市(現出雲市)生。大阪市立大学文学部を卒業後、80年から中国新聞記者。報道、経済、文化の各部、徳山、大田、大島の各支局を経て2005(平成17)年から文化部。著書に新聞連載に大幅加筆した『宮本常一という世界』『なぎさの記憶2――宮本常一 旅の原景』、メールマガジンで配信されたコラムをまとめた『コラム・ひろしまね記者の目』。共著に『移民』『中国人被爆者・癒えない痛苦(トンクー)』がある。

佐野眞一(さの・しんいち)
1947(昭和22)年、東京都生。早稲田大学文学部卒。出版社、業界紙勤務を経て、ノンフィクション作家に。97(平成9)年、宮本常一と渋沢敬三の生涯を描いた『旅する巨人』で第28回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞。著書に『性の王国』『遠い「山びこ」 無着成恭と教え子たちの四十年』『巨怪伝 正力松太郎と影武者たちの一世紀』『カリスマ 中内功とダイエーの「戦後」』『東電OL殺人事件』『だれが「本」を殺すのか』『宮本常一が見た日本』『宮本常一のまなざし』『てっぺん野郎 本人も知らなかった石原慎太郎』『宮本常一の写真に読む 失われた昭和』『阿片王 満州の夜と霧』など。

谷沢明(たにざわ・あきら)
1950(昭和25)年、静岡県生。法政大学大学院工学研究科修了。博士(工学)。日本観光文化研究所、文部省放送教育開発センター助教授を経て、95(平成7)年愛知淑徳大学現代社会学部教授。現在、大学院現代社会研究科長を兼ねる。主要著書『瀬戸内の町並み――港町形成の研究』。

豊田渉(とよた・わたる)
1953(昭和28)年愛媛県二神島生。松山市の工業高校卒業後、島にUターンし中島町役場(当時)に入庁。島に帰っていきなり青年団副団長。その後、自分の島、地域を知るためには他に島を見なければという思いで、愛媛県離島青年協議会や全国離島青年会議などに積極的に参加。76年5月から8年間「島の新聞よもぎ」を発行したり、島の歴史・文化などの調査も手がけ、2003(平成15)年3月「二神系譜研究会」設立に参加。毎夏、無人島・由利島を活用しての集いは八一年から続き、今も何らかのかたちで関わる。由利島へは年に1回以上、感謝と定点観測的な意味を込めて必ず訪ねる。96年に訳あって島を離れ、松山市内から通勤。2005年1月、松山市に合併するも市内から船での通勤を続ける。

森本孝(もりもと・たかし)
1945(昭和20)年生。立命館大学法学部卒業後、宮本常一が主宰した日本観光文化研究所で、伝統木造漁船・漁具の調査収集や、『あるくみるきく』の編集、執筆に参画した。現在は漁村社会・文化の専門家として、途上国の漁村振興計画調査に従事。著書・共著に『海の暮らしとなりたち』『東和町誌 各論編第三巻 漁業誌』『舟と港のある風景』、編著に『鶴見良行著作集』第11・12巻「フィールドノートⅠ・Ⅱ」がある。

本書資料篇より

周防大島文化交流センターの活動に寄せて
森本孝(元日本観光文化研究所『あるくみるきく』編集長)

 周防大島文化交流センターが開館したのは、平成16(2004)年5月のことである。以来丸3年が経過した。この3年間は、人口や経済機能の都市への集中により、都市と地方の経済格差が顕著となった時期でもあった。財政破綻する地方自治体も現れ、同時に財政破綻寸前の市町村が他にも多く存在することも明らかになった。また、この3年間で、国の音頭によって市町村の合併が全国的に相次いだ。当初、旧東和町により建設された本センターも、開館した年の10月には、周防大島の旧4町合併により周防大島町の所管となった。周防大島町もご他聞に漏れず厳しい財政環境にあり、センター予算も投入員数も十分とはいえない状況にある。にもかかわらず、これまで企画展示、出版広報、体験学習等の数々の活動が続けられてきたのは、休日出勤も、時には勤務が夜半になるのも厭わず、パネル製作や広報用出版物の編集、体験学習等の諸々の準備作業等を行ってきた町教委社会教育課職員の努力によるところが大きい。

 ところで、センターは宮本常一ファンの方々には「宮本常一資料館」と認識されているようである。センターは宮本家から寄贈を受けた故宮本常一の著書・蔵書、写真、遺品を保管し、宮本の撮影した写真で構成したパネルを展示している。ゆえに確かに宮本資料館である。しかし、国の重要民俗文化財指定を受けた農林業、漁業、諸職の民具類、町が輩出した長州大工の木造家屋用木組み模型、市民が独自にチームを作り、調査した長州大工研究成果など展示されているほか、図書館も同じ施設内に併設されている。単に「宮本常一資料館」としての機能を果たせばすむ施設ではない。
 またセンターは、文部科学省の博物館法による博物館でも資料館でもない。正確には農林水産省の「新山村振興農林漁業特対事業」資金により建設された施設で、「子供等自然環境知識習得」を事業目的とした「文化教育交流促進施設」である。つまりセンターは町内外の児童・生徒のための農林漁業関連の教育施設であり、都市と農漁村部の青少年の交流の場としての活用を図ることを事業目的に含む施設である。農林漁業についての知識が深く、農山漁村や離島振興の実践者であった宮本常一の蔵書や写真資料類をセンターが一括して収蔵保管していることから、それらの活用を視野に入れて、センターの事業が模索されねばならない。
 開館以来センターは年2回のペースで宮本常一の写真を構成した農山漁村の写真パネルの展示やその町内巡回展示等を行ってきた。また農林漁業体験のある町社会教育課職員による農業や漁業の生産技術や、専門家を招いての海洋環境調査、植物調査他の体験学習、他町村の資料館への宮本写真の貸出などの活動も行ってきた。その活動域はかなり広範にわたる。センターではこれらの活動を通して、直接、間接的に宮本民俗学や宮本資料に触れることで、宮本流の実学やその実践方法が自然と身につくのではないかと考えている。このため、センターでは市民に呼びかけて、「宮本のフィールドノート」の翻刻作業や著作の紹介作業に参加してもらうことも行ってきた。そして成果の一部は、『宮本常一 農漁村採訪録 長崎県対馬漁村・漁業調査ノート』が2巻、また市民による『宮本常一著作ブックガイド』として、2007年8月に刊行される予定である。
 これらに加え、生前の宮本常一が「郷土にいて郷土の歴史、文化を研究する」地元人材の育成を重要視していたことを踏まえ、センターでは地元の有志による調査・研究グループとの連携も心がけてきた。その一つとして長州大工調査研究グループがある。このグループは故郷を出自とした大工の技術や活動の歴史を学ぶべく、四国や大島郡内、山口県下で、宮本流の「あるくみるきく」を実践している。そして、地元の大島郡下に、多くの長州大工の活動の跡を発見するという成果をあげている。長州大工の活動範囲は広範にわたっており、その調査研究の完成はまだ道半ばとのことであるが、成果の一端はすでにセンターの展示パネルとして結実している。こうした故郷を調査研究する実践力と健全な志ある人材が育っていけば、町の未来も見えてくるはずである。

 最初に述べたように、本センターが地方の過疎の町の施設である関係上、予算も投入できる職員数も限られており、宮本ファンの方々から寄せられる多岐にわたる要請や要望の全てに応えることは困難である。時には叱咤されることもあろうが、当分の間センターは身の丈にあった地道な活動を続ける以外にない。幸いなことに宮本資料は、100年塩漬けにしておいても腐らない。むしろ100年後にこそ、その価値が最大に輝きを発するのでないか。宮本資料の箱を開けると、そこから一気に100年前の空気が飛び出してきて、日本の地方の民衆の在りし日の姿が「絵巻物」のように浮かび上がり、人々の驚異を呼ぶのではないか。宮本資料は20世紀の日本の地方社会、農山漁村の姿を後世に伝えるノアの方舟のような存在なのである。その意味では、宮本資料を散逸しないように整理し、保管することでセンターの役割の大半を果たしていると言えなくもない。たまには派手な打ち上げ花火をあげるのも良い。だが花火は一瞬の輝きは見せてもすぐに消えて後には元の闇しか残らない。宮本資料を方舟たらしめるためには、地道かつ愚直に、資料整理と研究活動という基礎的な作業を行うことが重要になってくる。
 ともあれ、センターは今後も、宮本資料を少しずつでも整理・調査し、その成果は企画展なり出版なり、講演会、体験学習などの形で、市民と社会に還元していかねばならない。急激に劣化している昨今の地方の政治経済の環境下では、「宮本常一とその遺産」いう剣を振っての地域活性化を求める性急な声も起こってこようかとも思うが、宮本常一もその残した資料もそのままでは草薙の剣のように、燃え盛る平原の炎を鎮め、危機からの回避を図ることのできる万能の剣ではない。「我に草薙の剣あり」と叫ぶだけで、それを自由に駆使できるだけの体力、知力、実践力を身につけねば、実は剣を帯びることさえ難しいのでなかろうか。
 どうか長い目でセンターの活動を見守り、声援を送っていただきたいものと、開館以来側面からセンターを支援してきた関係者の一人として念願するばかりである。

【用紙/刷色】
カバー ピケ ミルク 四六判Y目 120kg  2°(DIC202+K)PPなし
表紙 OKフェザーワルツ しんじゅ 四六判Y目 170kg
見返 OKフェザーワルツ 鼠 四六判Y目 120kg
本文 コスモバルキー A判T目66㎏

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